文系のキソ:記号論

デザインの深層を理解する:ソシュール記号論の「シニフィアンとシニフィエ」

Tags: 記号論, ソシュール, デザイン, シニフィアン, シニフィエ

文系の基礎知識としての記号論。今回は、記号論の扉を開いたフェルディナン・ド・ソシュールの最も重要な概念の一つ、「シニフィアン」と「シニフィエ」について掘り下げていきます。この概念を理解することは、デザイン、広告、ブランディングといった視覚コミュニケーションの深層を読み解き、より意図的で効果的なメッセージを創り出す上で不可欠な視点となります。

記号とは何か:ソシュールが示した新たな視点

私たちが日常的に使う言葉や、目にするサイン、シンボル、そしてデザインされたあらゆる視覚要素は、すべて何らかの「記号」として機能しています。ソシュールは、この記号というものがどのようにして意味を持つのかを体系的に考察しました。彼によれば、記号は二つの側面から構成される「両面体」であると説明されます。この二つの側面が「シニフィアン」と「シニフィエ」です。

シニフィアン(記号表現)とは

シニフィアン(signifiant)とは、記号の「形」や「表現」を指します。具体的には、音声として発せられる言葉の響き、文字として書かれた形、写真やイラストの視覚的なイメージ、ロゴやアイコンの形状などがこれに該当します。私たちが五感を通じて知覚できる、物理的な側面がシニフィアンです。

例えば、「木」という言葉を発する際の「キ」という音の連なり、あるいは「木」という漢字の形は、シニフィアンに当たります。デザインにおいては、特定のロゴマークの形状、広告に使用される写真やイラスト、ウェブサイトのボタンのアイコンなどがシニフィアンとして機能します。

シニフィエ(記号内容)とは

一方、シニフィエ(signifié)とは、シニフィアンによって引き起こされる「概念」や「意味」を指します。これは私たちが心の中に抱く、抽象的なイメージや理解のことです。シニフィアンによって喚起される内容がシニフィエとなります。

先ほどの例で言えば、「木」という言葉のシニフィアン(音や形)によって、私たちの心の中に「地面に根を張り、幹や枝を持つ植物」という概念が浮かび上がります。これがシニフィエです。デザインの文脈では、ロゴマークから連想される企業の価値、ブランドイメージ、製品の機能性などがシニフィエとなります。

「恣意的な結合」が意味を生む

ソシュールは、シニフィアンとシニフィエの間には「恣意的な結合」があることを強調しました。つまり、特定のシニフィアンが特定のシニフィエと結びつくことに、必然的な理由はないということです。例えば、「犬」という動物を表すために、日本語では「イヌ」、英語では「Dog」という異なる音が使われます。もし必然的な結合があるなら、どの言語でも同じ音になるはずです。しかし実際はそうではありません。

この恣意的な結合は、私たちがある言語共同体や文化共同体に属することで「約束事」として共有され、習得されていきます。この約束事がなければ、コミュニケーションは成立しません。

デザインにおける「シニフィアン」と「シニフィエ」の応用

このソシュールの概念は、視覚コミュニケーションを設計する上で極めて強力な洞察をもたらします。

1. ロゴデザインにおける意味の生成

企業のロゴマークは、シニフィアンとシニフィエの明確な結合を狙って作られます。

デザイナーは、単に美しい形(シニフィアン)を作るだけでなく、その形が顧客や社会にどのような概念(シニフィエ)を抱かせたいのかを深く考える必要があります。そして、その結合をいかに強固にするかがブランディングの鍵となります。

2. 広告とブランディングにおけるメッセージ設計

広告キャンペーンは、特定の視覚的要素(シニフィアン)を用いて、特定の感情やブランド価値(シニフィエ)を消費者に訴えかけます。

ここで重要なのは、シニフィアンの選定がシニフィエに大きな影響を与えるということです。どんなに良いメッセージ(シニフィエ)があっても、それを伝えるシニフィアンが的確でなければ、意図した意味は伝わりません。

3. ユーザーインターフェース (UI) デザインにおける直感性

UIデザインにおけるアイコンやボタンの形状も、シニフィアンとシニフィエの関係で捉えることができます。

UIデザインでは、ユーザーが迷わずに操作できるよう、既存の約束事や文化的に共有されたシニフィアンとシニフィエの結合を尊重することが重要です。新しいアイコンをデザインする際には、その形状(シニフィアン)がユーザーに誤解なく意図した機能(シニフィエ)を伝えられるかを慎重に検討する必要があります。

シニフィアンとシニフィエの関係性のダイナミズム

シニフィアンとシニフィエの結合は「恣意的」であるとソシュールは述べましたが、一度社会的に確立されると、その結合はまるで「必然的」であるかのように感じられます。これは、私たちが所属する文化や社会が、その結合を繰り返し強化し、共有するからです。

しかし、この結合は固定不変ではありません。文化や時代が変われば、同じシニフィアンが異なるシニフィエと結びついたり、あるいはシニフィエが曖昧になったりすることもあります。デザイナーは、このような記号の意味生成のダイナミズムを理解し、ターゲットとするオーディエンスの文化的な背景や、時代の潮流を読み解くことが求められます。

例えば、ある色(シニフィアン)が持つ意味(シニフィエ)は、文化圏によって大きく異なります。西洋では「白」が純粋さを表す一方で、東洋の一部では死を連想させることもあります。デザインがグローバルに展開される現代においては、この多義性を考慮し、意図しない誤解やネガティブな連想を避ける知見が不可欠です。

まとめ:記号論的視点からデザインを深める

ソシュールの「シニフィアン」と「シニフィエ」の概念は、私たちがデザインを通じて伝えるメッセージが、いかにして成り立っているのかを根本から理解するための強力なツールです。

この記号論的な視点を持つことで、デザイナーは単に見た目の良いものを作るだけでなく、受け手に深く響く、意味に満ちたコミュニケーションを創造する力を養うことができるでしょう。ぜひ、普段目にするデザインを、シニフィアンとシニフィエの視点から分析してみてください。きっと新たな発見があるはずです。